佐々木 昭男 (ささき あきお)さん
昭和2年 北海道小樽市生まれ。
平成4年に奥様の介護をきっかけに、家族間の情報交換や介護の悩みを相談したいと、「ささえあい介護家族の会」へ入会しました。平成9年に奥様が亡くなられた後は会長に就任し、現在もご自身の介護経験を、多くの介護している家族に伝えたいと会長として会を支え活躍しています。
ささえあい介護家族の会に入られたきっかけは?
妻が病気で倒れ、介護制度の利用申請に市の窓口へ伺った時、「ささえあい介護家族の会」の会報を拝見して、家族の介護で同じ悩みを抱えささえあっている情報を知り、当時の会長へ相談したのがきっかけです。
介護をされていた時のお話をお聞かせ下さい
妻が倒れた時は、私も仕事に就いていましたが、妻の介護に専念するため、仕事は辞めることにしました。
朝6時に病院に行き、身の回りの介護、一度自宅に戻り、午後3時~8時に再び病院で介護を行う生活がしばらく続きました。妻の病気は徐々に良くなり、半年程で退院し在宅での介護になりました。
妻もリハビリを開始し、歩行も出来るようになり、自宅で過ごせることが妻にとっての一番のリハビリになったのではないでしょうか。
しかし、妻がまた倒れ、今度は言語障害が残ってしまい、意思疎通を取ることがなかなか難しくなりました。
介護をされていて工夫した事はありましたか
妻に言語障害が残ってしまったので、「やさしい心」で介護しようと思い、どうやったら上手く意思疎通が取れるか考え、大きな紙に50音を書き、紙の中の文字を指してもらうことで、妻の話したい事が分かり、介護にも良い影響を与えてくれました。その他、週1回の訪問入浴サービス利用時にスタッフから、介護について学び、週1回の入浴だけでは妻も気持ちが良くないだろうと思い、工夫しながらシャワー浴の回数を増やしたり、また、笑う事が健康に良いと聞くと、昼間にお笑いの番組を見せてあげたりと、介護の中に妻が喜ぶ事を多く取り入れました。
介護に対して家族の協力はありましたか
妻が病室のベットの上でエレベーターを指差して「家に帰りたい」と訴えているときは切ない気持ちになりました。体調の良い時は日帰りの外出も許可していただき、息子夫婦が送り迎えをしてくれたり、車いすを押して近所の公園を散歩するなど、協力してくれました。家に帰るとほっとするのか、その時の妻の喜んだ顔は今でもよく覚えています。こんな姿を見ている孫たちも「やさしい心」で妻に接してくれ、嬉しく思います。
会長として活動してきた思いとは
さえあい介護家族の会会長に就任にして今年で12年目になります。10年以上会長をやってきましたが、今後も会員の方に私の介護をした体験を伝えていきたいと思っています。そして、家族だけが介護するのではなく、住民相互で支えあいながら暮らせる「福祉のまちづくり」を目指して、これからも活動していきたいと考えています。
これからの会に思うこと
多くの会員さんと情報交換をして「介護をしているのは自分だけではない。」「楽しみを持ちながら介護をしてもらいたい。」と思っています。
そのためにも、多くの会員が会へ出席してもらえるようなムード作り、多くの方に私が体験してきたことを伝えて、介護の役に立てて欲しい、そしてみんなが「やさしい心」を持って介護をしていってもらいたいと思います。
会長にお話を伺っていると、「やさしい心」と言う言葉が随所に出てきました。この言葉は、佐々木会長が介護をする上で一番大事なことなのだということが良く分かりました。
会長が大事にしている「やさしい心」が、ささえあい介護家族の会の活動を支えているのではないかと感じました。
これからもたくさんの方に介護体験を伝えていただき、「やさしい心」の輪を広げていただければと思います。