高橋 ツギさん
昭和9年新潟県生まれ。義父の介護後、昭和54年からボランティア活動に参加。現在、相模原ボランティア協会の事務局員と相模原市社協ボランティアセンターのコーディネーター担当として、ボランティアの相談援助業務や需給調整を担当するかたわら、ボランティア活動も続けている。
活動を始められたきっかけは?
民生委員をしていた父の姿を見て育ち、母には、「自分に降りかかったものから逃げてはだめ。逃げないで経験をする。マイナスを含めて逃げればその次が大変になる」と教えられて育ちました。
昭和54年に、3年間お世話した義父(軽い脳梗塞と認知症)が92歳で他界しました。そして、夜がこんなにも静かだったことを知りました。父が民生委員をしていたことや、夫がボランティア活動に参加することに賛成してくれたことで、義父が他界してから10日後に、新聞のボランティア募集記事を見て神奈川県社協に電話したところ、相模原市社協を紹介されたのが、ボランティア活動に参加するきっかけになりました。
認知症の義父が教えてくれたこと
義父から学んだことはたくさんあります。中でも、「認知症になることと、その人がプライドを失うこととは全く違うことだ」ということを教えてもらったことは、大きな財産になりました。どんなに認知症が進んでもプライドはあります。その人のプライドを傷つけない介護が本当の介護だと教えてもらいました。オムツが濡れた時も、「オムツがぬれたので交換しましょうね。」と声をかけると、「汗をかいたんだ」との返事。「汗をかいたので交換しましょうね。」と声をかけると快く対応してくれました。
一番印象に残っている言葉は?
相模原市社協「善意銀行」(現ボランティアセンター)に登録し、高齢者のお世話や障害児の保育等の活動をしながら、スキルアップのために様々な研修も受けました。その中の1つ、障害児へのボランティア育成研修で自閉症児への対応等を学んだ時、淵野辺保育園の小林先生がおっしゃった言葉が忘れられません。「ボランティアはその人全てを受容(受け入れる)します」この教えを聞いて、自閉症児に限らず「人」と接することは「その人を受容する」ことだと気づきました。以来、この姿勢が私の人との関わり方の基本になっています。
ボランティア活動をして良かったと思えることは?
もともとは、人と接するのが苦手だったんです。実家は田舎(新潟県)でしたので、自宅にはいつも人が大勢集まっていました。それがかえって人見知りする原因になってしまいました。
それが、義父のお世話をし、相談援助業務で様々な障害児や高齢者、ボランティアの方と接するうちに、自然と人と接するのが楽しみになっていったんです。障害のあるなしや年齢に関わらず、どんな人にも魅力があると、教えられたことがあるからでしょうか。
長く続けてこられた理由は?
ボランティア活動を始めて29年が経ちました。これまで活動を続けて来れたのは、両親の教えや義父の介護経験など、様々な人からの教えがあったからです。ボランティアは上下関係ではなく、横のつながりでみんなが同等だから楽しく続けられるのだと思います。
でも活動を続ける上で一番大切なことは、夫や子どもたちの理解・協力です。それがなければ今日の私はありませんでした。これからも楽しみながらボランティア活動を続けていきたいと思います。
相模原市社協には、「いるかバンク」というボランティア登録制度があります。「何か自分にできることをやってみたい」という方に、ボランティアを必要としている方や施設、市内で活動しているボランティアグループなどを紹介しています。皆さんも「いるかバンク」に登録して、「素敵な出会い」や「自分育ち」を体験してみませんか!