奥村 富子さん(2010年12月)
奥村富子(おくむら とみこ)さん
大阪生まれ、城山在住30余年
介護者の家族を支える会『ほっと』会長。傾聴ボランティア『花みずき』会員。相模原市福祉オンブズマンネットワーク活動等市内でも幅広くご活躍されています。
人生観が変わった出来事
40代で民生委員になりました。「自分にはベテランの人のようにはできないので、まずは動くことからはじめよう!」と思い、福祉関連の講座や研修をくまなく受講していた時、社協(旧城山町社協)で開催した「~あなたの人生観が変わる~城山カルチャースクール」の募集を見かけました。「人生観が変わる」なんてどんな講座だろうと興味を持ちました。講座の中で紹介された手足を縛られた認知症高齢者の写真にショックを受け「こんな事が許されてよいのか」と怒りに似た気持ちで、高齢者福祉の実態を知りたいと、飛び込みで高齢者施設で働かせてもらったり、通信教育で福祉の勉強をしたりしました。本当に人生観が変わってしまったと思います。
母の介護がはじまる
民生委員になって3~4年が経過した頃、実家の母の様子が少しおかしくなってきました。兄弟は母を病院に預けると言ったのですが、やや強引に母を大阪から引き取り24時間の介護生活が始まりました。「認知症になった母が声なき声で発するメッセージを家族である自分が理解できないのは悲しい。どうしても母のメッセージを受け取りたい」という一心でした。
大阪には体の悪い父が残りましたが、不自由な体にもかかわらず母の介護をしたいと常々言っていました。母を引き取ってわずか半年後に寝たきりになった父が「母のそばで過ごしたい」という最後の願いを叶えようと、1週間の約束で城山の私の自宅につれてきたところ、父は始めから戻る気は無かったようで、そこからは認知症の母に加え寝たきりの父の介護も担うことになりました。
父を引き取るかどうか悩んだときに、自分と同じ立場の方に相談をしたいと思い、『呆け老人をかかえる家族の会(現「認知症の人と家族の会」)』が茅ヶ崎で会合を行うため参加しました。「現在認知症の母を抱えていますが、寝たきりの父も看てあげたいと思っている。2人を介護する事はできるでしょうか」と相談したところ、「あなたがやってあげたいと思ったらできます。ただし、欲張って、あれもこれもするのではなく一番かなえてあげたい事だけをしてあげようと思うなら大丈夫」と言われ、迷いがなくなりました。「父と母を一緒に居させてあげること。」それだけを目標に2人を介護する生活が始まりました。大変な毎日でしたが、認知症の母とユーモアたっぷりの父のかみ合わないやり取りに心癒される事も多かったです。
介護家族を支える会『ほっと』の発足
ちょうどその時期に津久井郡4町それぞれに家族の会を発足させるという事を知り、城山にもできるなら私も関わりたいと、準備会に参加させてもらいました。当時は今ほど認知症に対しての理解が進んでいなかったこともあり、介護者同士で相談しあえる場所が欲しいと思っていたため発足は大変心強く、介護生活を一緒に乗り越えてくれる仲間と出会う事もできました。
同時期にヘルパー2級講座も受講して、介護する際のコツや心構えなど自己流でやっていたときには考えつかなかった事を勉強する事ができ、この知識や技術は介護する者は絶対に知っておいた方が良いと思いました。会員みんなに受講を勧めるため、会から受講費用を助成することも考えました。現在は会員の中でヘルパー2級の資格を取得する人も増え、会員同士の相互支援事業を行っています。
ガンが見つかって
父を看取り、母が落ち着いてきた頃、自分の体調不良に気がつきました。腎臓結石で七転八倒し、母の介護どころではない緊急事態に会の仲間が、母の短期入所の手続きと自分の入院の付添いをしてくれました。介護者が一人だったら、介護者が倒れたときにこのような対応はできないと仲間の大切さを改めて感じました。その後、自分の体にガンが見つかり、手術・治療をするようになったのですが、介護者は自分の体のことはどうしても後回しになってしまうから、「介護者を助けなければみんな自分のようにガンになってしまう!」と痛切に感じました。介護者は常に孤独や不安を抱えており、精神的にも身体的にも過酷な毎日です。「一人じゃないよ」というメッセージを伝え続ける事が『ほっと』として大事な支援であることと、家族が行うことの全てをどんな事でも支えようという気持ちがますます強くなりました。今年から会長を引き受けましたが、周りの人には、「思いが熱すぎて突っ走らないように私を止めて欲しい(笑)」と話してあります。
活動への思いはひとつ
最近は『ほっと』の活動のほかに、5年ほど前から傾聴ボランティアの会の立ち上げに参加し、施設や個人の方への傾聴活動を行っています。始めは受入れてくださらなかった方が、何年も活動を続けているうちに心を許してくださる事がうれしいです。また、ここ4年ほど相模原市福祉オンブズマンネットワークの活動もしています。言葉少ない方の代弁をする事にやりがいを感じます。傾聴もオンブズマンも、ご自分の気持ちをなかなか発信できない方のメッセージを受け止め、代弁するということが介護と共通しています。諦めず、誠実にかかわり続けることで、必ず相手の閉じた気持ちをゆっくりと開き、メッセージを受け取れるようになるのだと信じ、活動に携わっています。
興味のある事はとことん探りたい!
ガンに罹って、自分の命には限りがあるのだということを目の当たりにし、残りの人生を後悔しないように楽しまなくてはと思うようになりました。今はとにかく社交ダンスが好きで好きで、夢中でやっています。興味のある事はとにかく自分なりに探りたくてたまらなくなる性分のようで、熱心に通っています(こんなに熱心に通えるのはスポンサー(夫)のおかげ。感謝です!!)。何か大変な時は、楽しい事を精一杯やることで自分の体のバランスを取っているのだと思います。
今思えば、民生委員になったときに、それまで大好きでやっていた趣味を一切放り出すほど「本当に自分がやりたい事はこれだったんだ!」と気づくことができ、大きな人生の転機となり、今は自分の好きな活動ばかりに関わる事ができているので毎日が本当に充実しています。これからも様々な人との関わりの中で生きている事をしっかりと感じながら過ごしていきたいと思っています。
インタビューを終えて
軽やかな関西弁でお話される奥村さん。様々なエピソードを交えてのお話が面白くいつまでも聞いていたくなります。「自分のやりたい事はこれ!」と、自信を持って言える姿がとても素敵でした。パワフルかつ細やかな心遣いで、今後も活動をどんどん引っ張っていただきたいと思います。華麗な社交ダンス姿も見せてくださいね!