中瀬 勝利さん(2012年9月)
中瀬 勝利(なかせ かつとし)さん
緑区鳥屋在住。定年退職後に奥様と安来節(どじょうすくい)を習い始め、奥様と一緒にボランティアで高齢者施設等で芸の披露をされています。
昨年の東日本大震災発災後から「何かしたい!」という気持ちをお持ちで、市社協が運行した大船渡市へのボランティアバスに参加し、3泊4日で側溝の土砂上げなどの活動をされました。今年7月にも再度被災地を訪れ、演芸の披露をされました。
震災への関心が薄れてきていると言われる中、どのようなお気持ちで復興支援のボランティアを続けているのでしょうか?中瀬さんにお話を伺います。
今回はどのような活動をされたのですか?
家族で復興支援のボランティアをしたいと思い、市社協ボランティアセンターを通して、「(特非)遠野まごころネット」に希望を伝えたところ、「来てほしい」と連絡があり、7/21~24に、私たち夫婦と、嫁夫婦、小学生の孫2人の6人で、自家用車で陸前高田、大槌、大船渡に行って、仮設住宅などで演芸を披露してきました。
1日目は陸前高田の仮設商店街で、2日目の大槌では仮設商店街、仮設住宅で、3日目は大船渡の公民館で、踊りや安来節(どじょうすくい)、皿回しに、孫たちの空手道や「マル・マル・モリ・モリ!」の歌とダンスなどを披露しました。
どんなことが印象に残っていますか?
「楽しかった」と一生懸命手を叩いて喜んでくれた人がいて嬉しかったです。
仮設住宅の人達にも楽しんでほしかったけれど、難しさを感じました。大槌では150世帯の大きな仮設住宅に行ったけれど、しーんとしていて、外に出てこられない人が多い雰囲気を感じました。演芸の開始時間になったので始めようとすると、避難所の人から「開演を少し待って」と言われました。何かと思ったら、「閉じこもりがちな入居者を、演芸を見ましょうと、呼びに行っている。もう少しで出てきてくれそうで、今話をしているところだから待ってほしい」と・・・被災から1年以上が経ち、明るく元気な様子の人もいますが、心の傷が癒えていない人も多いのだと痛感しました。閉じこもっている人が、どうしたらお茶飲みを楽しんだり、笑ったりできるようになるのか。話をするきっかけがあれば、ふっと笑いが出るきっかけがあれば、また笑えるようになれるのでは・・・。気持ちの複雑さは、なんとなくわかるようで、難しいものだと思いました。
ボランティア仲間と中瀬さん(後列右から3番目) |
今後の活動についてどのようにお考えですか?
大槌ではたくさんのボランティア仲間に会いました。みな、被災者の方に気配りしながら、根気強く頑張っていました。
私は、演芸は素人だけれど、普段の活動の延長線で取組むことができました。「心の傷」の治療はプロにしかできないかもしれませんが、「自分は何もできない」と思うと暗くなってしまいます。自分のできることで、少しでも「笑いのきっかけづくり」のお手伝いができればいいと思っています。幼い孫は、今は十分に理解できていないと思いますが、いつか思い出してくれればいいと思います。復興には相当時間がかかります。できることは人それぞれですが、「何かしたい」という気持ちを忘れないで過ごしたいです。
インタビューを終えて
昨年ボランティアバスに参加した後に「被災者の方々のボランティアに対する感謝の気持ちや、お互いに支え合って生活している様子に触れ、人として大切な心がけや命の大切さというものを改めて考えました。」とおっしゃっていた中瀬さん。
私は、それを聞いてから「人として大切な心がけ」ってなんだろう?と考えていましたが、今回のお話を伺って、中瀬さんが被災者の方々に寄り添おうとしている様子に、「人に寄り添おうとする心」が、「人として大切な心がけ」の中核ではないかと思いました。
復興支援のために私ができることは?市社協ができることは何か、今後も問い続けていきたいと思います。