瀧山 元さん(2013年4月)
瀧山 元(たきやま もと)さん
美容師。
数年前まで西門にて美容院を営む傍ら城山町社協で入浴サービス利用者さんへの散髪ボランティア活動をされていました。
現在は傾聴ボランティア「花みずき」の会員としても活躍中。
市内の施設で歌を披露する活動もしています。
瀧山さんのボランティア活動について教えてください
夫が定年後すぐに脳梗塞で倒れ、自宅でお風呂に入れるのがとても大変で、城山町社協の入浴サービスを利用しようと思って相談に来た時に、仕事柄、入浴サービスに来られている利用者さんの髪が気になって…。「さっぱりさせてあげたいなあ」と思いました。そこで、すぐに散髪のボランティアをしたいと申し出、月に1回活動していました。また、私は歌を歌うこともとっても好きで、好きが高じて歌う時用の衣装をそろえたりして、今では老人ホームなどで歌うボランティアもしています。定期的に呼んでくださるホームがあり、そこでは歌っている姿を写真に撮ってくれて、帰り際にプリントアウトして渡してくださるので、とても励みになっています。
ドレス姿で歌う瀧山さん |
美容師をしていたので人の話を聞く機会も仕事柄多く、お客さんの話は傾聴することを心がけていましたので、それを活かしてお年寄りのお宅に話し相手にも行っていました。それが私の傾聴ボランティアの始まりだったと思います。自分が夫の介護をしていることがとてもつらくて、誰かに話を聞いてもらいたいと思い、知り合いの臨床心理士さんに話を聞いてもらった時にただ聞いてもらうだけでこんなに安心できて楽になるんだ!と実感。自分の経験から「話を聞いてもらいたい」という人の気持ちがとてもよくわかるので、「ただ聞くだけ」の傾聴ボランティアは自分にとっても大切な活動になっています。現在は2つの施設に月1~2回の頻度で通っています。お話しをした後は利用者の皆さんと、歌ったり踊ったり、その時間を皆さんとても楽しみにしてくれていて、「あなたの顔をみると元気がでるよ」なんて言ってもらえることもあって本当にうれしいです。いろんな人に出会い、喜ぶ顔が見られることが私の元気の素です!
麦畑の衣装! |
西門で美容院をされていたそうですね?
もともとは専業主婦で子どもが三人いて、子育てに追われている生活でしたが、夫の弟が4人の子どもを残して突然亡くなってしまい、弟のお嫁さんから「死にたい」と毎日電話が来ていたことがありました。その時夫が「俺が突然死んだ後、お前がこんな風になったら困るから、手に職を付けたほうがいい」と言ってくれたのがきっかけで、36歳の時に美容学校に入学。44歳の時に自分のお店を持つことができました。
お客さんの髪を切っている間に悩みを相談されることもあり、それをただ聞くことしかできなかったけれど、髪も表情もすっきりされ帰って行かれる姿を見ることがやりがいでした。体の不自由な方も来られていたので、その方のお手伝いを何とかできないかと思い、ヘルパー2級の資格も取りました。お客さん手作りの作品をオークションのようにして、集まったお金を相模原市社協に寄付したこともありました。「変わっているけど面白いお店」とお客様に盛り上げていただいた25年間でした。今もそのつながりで、お友達の輪も自分自身の活動も広がっています。
瀧山さんには憧れの人がいるそうですが…
聖路加国際病院の日野原重明先生が大好きなんです!購読していた雑誌に先生の連載があり、読んでいくうちに、大ファンになりました。夫の介護が大変な時に「生き方上手」という本が発行されて、その本にもとても感動して、お礼のお手紙を書いたらお返事を下さった。こんなに忙しい方がお返事をくださるなんて…と感激して、ますます好きになりました。日野原先生の生き方からは、忙しいというのは言い訳にしかならなくて、やろうと思えば何でもできるということを学びました。日野原先生から頂いたサインやお手紙は大切な宝物。人生には目標となる人を置いた方がいいと言われますが、私の目標は日野原先生。100歳を超えても健康で楽しく過ごしていきたいなあと思います。
瀧山さんの宝物の数々 |
インタビューを終えて
お話の途中に、「鏡を常に持っていて、自分の顔をチェックするといいのよ」「ちょっとしたマニキュアや口紅で心も明るくなるのよ」など、美容師さんならではのアドバイスもいただき、インタビューさせていただいた我が身を振り返ってちょっと反省…。
「瀧山元の『元』は元気の『元』だから!」と朗らかにお話される瀧山さんにこちらもたくさんの元気をもらいました。「100歳を超えても健康で楽しく生きる」という目標、是非達成していただきたいと思います。ありがとうございました!