岸 茂子(きし しげこ)さん
障害者福祉施設事業所協会所属
社会福祉法人県央福祉会 社会就労センターきらら所長
相模原市社会福祉協議会権利擁護事業審査会委員
昭和58年に保育園父母会での出会いから障害者作業所の仕事を手伝うことに。
以来、障害者が“当たり前”の生活をするにはどうすれば良いのかを考え、対話し、行動に移して来られました。
障害者作業所のお仕事をはじめたきっかけは?
結婚後、夫の仕事の関係で相模原市に引っ越してきました。その後出産のため仕事を辞めたのですが、仕事が好きだったので、子どもを保育園に預けて大学で教員の免許を取得し、代用教員の仕事をはじめました。この保育園の父母会の中で、障がい者の「親の会」(現 社団法人相模原市手をつなぐ育成会)が作った障害者地域作業所「さざんかの家」の職員と知り合い、並木にある「ひまわりの家」の職員を探しているので手伝ってほしいと頼まれ、昭和58年にこの仕事に就くことになりました。
障害者作業所の印象はどうでしたか?
大学時代に障がい者分野のボランティア活動もしていたので興味は湧いたのですが、建物が古い民家で正直「ここで働くのかぁ」と思ったことを覚えています。それでもこの仕事を続けることになったのは、障がい者のおかれている状況が「ひどいなぁ」と思ったからなんです。当時の作業所の仕事は内職作業しかなかったので賃金も安くて、実際、利用者の親も将来が心配で、早く安心して暮らせる入所施設を作ってほしいと要望していました。こうしたことを背景に、納得できないことも多くて色々と考えたり、お願いしたりしている中で、この仕事を辞められなくなったんです(笑)。
どのような取り組みをしてきたのでしょうか?
当時は国連が1981(昭和56)年を国際障害者年とし、世間でも障がい者の権利とか地域福祉を考える機運が高まっていました。
障害者地域作業所の仕事を始めてしばらくして、どうせやるなら創造的な仕事をしたいと、機織りを作業に取り入れました。当時、織り機を導入するために新聞社の厚生事業の補助金を得て、記脚光を浴びたこともありました。
また、平成2年に、地域作業所で働いていた友人たちと一緒に理想の作業所を創ろうということになり、陽光台に地域作業所「ハーブの里」をつくりました。手織りとハーブの自主製品を製作・販売し、製品を買ってくださる人の輪も広がりました。そして、何よりも品物を作って売って工賃になることで、みんなの自信につながっていくのがわかりました。
こうした取り組みを行う中、ハーブを栽培して皆でワイワイ楽しくしている様子をみていた地主さんが私たちに共感してくださり、施設を建設する土地を貸してくれました。感激しました。こうして県央福祉会最初の通所施設「パステルファーム」が設置され、障害を持った人が地域で暮らす※ノーマライゼーションを実現するための拠点にしようと思うようになりました。
最後に一言お願いします。
利用者も親もだんだん年を取ってくるのは当たり前で、作業所だけでは支えきれません。グループホーム・ケアホームが広まってきたのは最近のことなので、当時は親亡き後は入所施設をというのが大半でした。「うちの子は障がいが重いからホームを作っても無駄よ。」とか「なぜ他の作業所の人のためにホームを作るの?」と言われたこともあります。また、身体障がい者のホームづくりやホームでの体験入居にも取り組みました。
基本は「ずっと地域で暮らすこと。それは絶対実現する。」その思いでやってきました。
20代の女性利用者が「原宿に行って、ジャニーズショップに行き、ハンバーガーを食べたい。」と言っていたので、若い学生さんにガイドヘルパーをお願いし、出掛けたことがあったんです。そうしたら、手にマニキュアを付けて、プリクラを撮って嬉しそうに帰ってきたんです。同年代の若い人たちが当たり前にしている経験が、今までやって来れていなかったと思いました。
※ノーマライゼーション
社会福祉をめぐる社会理念の一つ。障害者と健常者とは、お互いが特に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方。またそれに向けた運動や施策など。
※成年後見制度
判断能力(事理弁識能力)の不十分な者を保護するため、一定の場合に本人の行為能力を制限するとともに本人のために法律行為をおこない、または本人による法律行為を助ける者を選任する制度のこと。