昭和44年相模原市生まれ。筋ジストロフィという障害があり、電動車いすでの生活を送る。障害者介助派遣団体の設立をはじめ、障害児の児童デイサービスセンターの運営等幅広く活躍中。現在NPO法人クライム理事長。
島崎さんは現在電動車いすを使われていますが、実際に車いすを必要とするようになったのはいつ頃からですか?
進行性の病気を患っていることを知ったのは、小学生の頃でした。でも当時は歩くことも出来ました。その後徐々に進行し、実際に車いすを利用するようになったのは高校を卒業して以降のことです。当時はプライドがあって、出来るだけ車いすに頼らないようにとしていました。
小学生の時にご自身の病気を知り、不安や葛藤などはありませんでしたか?
特にはありませんでした。高校を卒業し、就職できずに家の中に閉じこもり、沸々とした思いの中で暮らしていた時期が、自分自身にとって一番駄目な時期でしたね。
どのくらいの期間ですか?
高校を卒業して20代後半になるまでです。それまでの間、保健所の職員を始め様々な方から福祉施設に通うことを熱心にお誘いいただきましたが、当時は入浴の介助を家族以外の人にしてもらうことにとても抵抗を感じており、「絶対施設なんかに通うものか」と考えていましたね。
でもその後福祉施設に通われるようになった?
親にこれ以上負担を掛けては・・・との思いを感じてもいました。実際に行ってみるといい人たちばかりで、その後の人生が大きく変わりました。
電動の車いすはいつから使われているんですか?
外に出るようになってからです。手動の車いすだと介助する方が前に回ってもらうことで始めて目線を合わせることが出来ます。自分で思い通りに操作し、介助してくれる人たちの顔を自分から見ることが出来る電動車いすを利用して、初めて対等であることを感じるようになりました。
島崎さんには、現在市内の小中学校等からの依頼を受け市社協で実施している「ハンディキャップ体験講座」の講話講師としてご協力いただいていますね。
ええ、大体月に1回位の頻度で小学生から中学、高校生・・・と色々な人を対象に、1回20分程度のものから1時間ぐらいの講演会まで、様々な形式で車いすを利用している者としてのお話をさせてもらっています。
どのようなきっかけがあったんですか?
通っていた福祉施設の職員から誘われ、地区のボランティアグループの方々にサービスを利用する立場からのお話をしたのが、人前で話をするようになった最初のことです。今から十年位前のことです。その後市社協の職員からお声掛けを頂き、小中学校の授業の中で子どもたちにお話をするようになりました。
人の前でお話をするということは日常生活の中で滅多にあるものではないのではないかと思います。また小・中学生を対象とするお話は、伝え方等の面で難しいこともあろうかと思うのですが、抵抗はありませんか?
特にありません。むしろ子どもは好きなので、一緒に何か出来ることに喜びを感じていますよ。
話をされる際に気をつけていること、特に強調したいメッセージといったものがありますか?
子どもたちはどうしても「車いす」に目が向いがちです。「車いすを利用している人は、~出来ない」、あるいは「かわいそう」といった固定観念を植え付けたくないと思います。そのため車いすを利用している私が車いすの話だけに終始するのでは良くないと考えています。「あっ、普通の人なんだ!」と思ってもらえるよう、その“気づき”の過程を大切にした話が出来ればと心がけています。
これまでの関わりの中で、子どもたちに何か変化を感じますか?
子どもたちは今も昔も変わりがないと思います。むしろ先生の姿勢に変化を感じますね。
どの様な変化ですか?
私が学校に行くと、昔は先生が遠く離れて見守っているような印象を覚えましたが、この頃は先生も子どもたちと一緒になって交わろうと心がけているように感じます。でもここ1,2年、また逆戻りというか、距離を感じるようにもなりました。先生にゆとりがないようにも見受けられます。
島崎さんご自身にとって子どもたちにお話をするようになって変化はありましたか?
最初のうちは、「車いすを利用していると、こんなことが大変」といった話をすることで精一杯でした。回数を重ねていくうちに“子どもたちに何を受け止めてほしいか?”を考えながら話しができるようになったと思います。
人生の中での位置づけとして、何か変化はありましたか?
私が人前で話をするようになってから今日までの期間は、それまで単にサービスの受け手であった私が、課題を見つけ、主体的に解決していくよう挑戦しだした時期と重なります。
生活が大きく変わったと?
ええ、実際に一歩前に踏み込んだことで自信がつき、人を巻き込む力がつき、そして今がある・・・。現在は自分で立ち上げたNPO法人の理事長として福祉サービスを提供する立場になっていますが、私の話を聞いた子どもたちがやがて大人になった時に、同じ思いを共有できる人になっていてほしいと切に願っていますし、その思いを込めて話をしています。
NPO法人のお話が出ました。島崎さんはご自身で立ち上げられた法人の理事長としてご活躍されていますが、その経過を教えていただけますか?
今から10年くらい前に、あるケア付住宅を建設する話しが持ち上がり、その準備会や開所後の運営委員会等に関わりました。実際に開所すると、介助をする担い手の確保が課題となりました。チラシを配り、人を集めるのですが、その中心は学生です。慣れた頃には卒業などを理由に離れていくため、どうしても不安定な状況が続きました。
そこで安定的に介助者を派遣する事業所を立ち上げたと?
はい、「クライム」という名をつけました。今から4年前のことです。実際にヘルパー派遣の事業を開始すると、知的障害のある子どもを持つ親御さんから、放課後の支援についての声を多く受け、「児童デイサービス」を市内2箇所で提供してもいます。
サービスの受け手から提供する側へ、大きな変化のあった10年間だったんですね。でも会社の立ち上げを島崎さんご自身で取組まなくても良かったのではないかと思うのですが?誰か他の人にお願いすることも出来たのでは?
自宅にいた頃の自分は、家の中で埋もれ、何もやることがありませんでした。“友達は就職し働いているのに自分はただ家にいるだけ・・・”と取り残されて行く感じを強く受けていました。でも多くの人の誘いで、それまで絶対に行きたくないと思っていた福祉施設に通うようになり、また自宅を出で一人暮らしをすると、世界が大きく広がり、とても楽しい思いを得ることができました。本当に楽しかった。だから“同じ思いを多くの仲間と共有したい、自分だったら出来る、自分にしかこれは出来ない!”と考えたからではないかと思います。
とても真似が出来ないような思いですが、でもその“思い”だけでは、持続されることは難しいのではないですか?
あとは運もあると思います。(笑)タイミングも良かったと。市社協からのお声掛けで様々な機会に人前でお話をさせていただくようになったこともその1つだと思います。様々な人との出会いから、人づてに自分を知ってくれる人が一人、またひとりと増え、それと共に協力いただける方も増えてきました。勿論、大変なことも多くあります。でも「結果がプラスになれば」と励んでいます。
様々な活動を通じて何か感じられておることがありますか?
以前に比べ、福祉の分野に携わろうと考える若者が少なくなっているように思います。福祉サービスの制度化が進み、その中で担い手の専門性としての資格化が進みましたが、それが返って気軽に関われる機会を奪っているようにも思います。
福祉が魅力のあるものであることを、様々な場で伝えていければいけませんよね。その点では、市社協の役割もあろうかと思います。
多くの人や機関と協働して、より良い社会にしていけたらと思います。
いつも、子どもたちに楽しく、分かりやすくお話をしていただいている島崎さん。お話をうかがい、今日に至るまでに様々な困難や課題を乗り越えてこられたことを知りました。そのためか、言葉の1つひとつに奥深さを感じもしました。市社協が実施する「ハンディキャップ体験」では、子どもたちが島崎さんのような方と交わることで、「車いすの人」という認識ではなく、「島崎さん」という人そのものとして理解してもらえたらと考えます。また、願わくば子どもたち一人ひとりが「自分にしか出来ないこと」を見つけ、それを目指してもらえるきっかけになると、より良いと思いました。